丸柚餅子の物語 04.海外展開③

海外展開はアメリカ、特にニューヨークに絞って活動することにしました。生の柚子が入手できにくく需要はあるという特殊な事情を抱えていたからです。そして、パートナーの日系商社の営業担当の方と連日訪問営業を行いました。そして、また新たな事情を知ることになりました。

丸柚餅子の紹介をさせていただく店のなかには「柚子の皮はないの?困ってんだよね」と言われる方が多くいました。営業担当に事情を聞くと、生の柚子の輸入ができないため料理の装飾用として柚子皮の冷凍品が出回っていたとのこと。これが、FDA当局が知り、装飾用でないと判断して輸入や使用ができなくなったようです。

困ったレストランは「柚子の皮ないの?」ということになったわけです。それからは、商社の経営陣からも「柚子の皮作れませんか?」と依頼され、試作を繰り返し3年後には丸柚餅子ではなく、柚子の皮を製造販売するベンダーとして認識されるようになりました。日本ではほとんど流通していない商品ですが、アメリカの事情から生まれた商品が「きざみ柚子」でした。

コロナ禍でニューヨークのレストランに宛てたビデオメッセージ

丸柚餅子の物語 03.海外展開②

丸柚餅子がニューヨークで使われたのは、柚子が海外やアメリカでも人気があるにも関わらず、生の柑橘類を輸入できないことに起因しています。柑橘王国である自国の産業を保護する目的なのか、とにかく生の柚子は輸入できなかったのです。そこで、柚子の風味を活かした料理を作るために長期間保存しても柚子の風味が変わらない丸柚餅子が注目されたのです。

また、柑橘類が輸入できないアメリカで丸柚餅子を紹介してくれていた料理人もいました。今では世界を股にかけるグローバルな料理人で、ミシュラン二つ星を獲得した金沢の料亭「日本料理・銭屋」の社長であり、アマン京都の日本料理「鷹庵」の総料理長でもある高木慎一郎氏でした。高校生の頃、ニューヨークでの留学経験がある高木慎一郎氏は、ニューヨークで交流のあるシェフらに招かれたイベントで、丸柚餅子を使った料理を提供していたのです。

そして、中浦屋の関係は「日本料理・銭屋」の先代が丸柚餅子をギフト用商品や料理に使っていたことに始まります。その後、2代目の高木慎一郎氏が海外で腕を振るうようになり、日本らしい食材として丸柚餅子を海外に持ち出してくれたのです。国内で丸柚餅子を使っているレストランはありますが、海外に届けてくれたのは高木慎一郎氏が初めてだったようです。

丸柚餅子の物語 02.海外展開①

2009年丸柚餅子は海を渡りアメリカの展示会に出展することになりました。

石川県産品の輸出を支援する石川県の後押しで、ニューヨークで開催された現地のレストラン向け展示会とイベントで丸柚餅子を紹介したのです。海外にまで丸柚餅子を紹介するには深いわけがありました。

柚餅子(ゆべし)、という食品は日本各地にあります。それぞれの歴史や地域性から形も味も違い、お菓子であったり塩辛い珍味であったりします。

そして、物産展や営業で「柚餅子のメーカーです」と挨拶すると「知ってる、ゆべしでしょ」と答えてくれます。

しかし、頭に描かれている柚餅子はそれぞれのふるさとの柚餅子で、似ているものもありますが、大抵は丸柚餅子とは別物の柚餅子を頭に浮かべているのです。

どこの柚餅子(ゆべし)も歴史は古く各地で育まれてきたものですから、地域に根ざした本物の特産品です。そこで、未だ柚餅子を知らないであろう国外で自社の丸柚餅子を紹介することにしたのです。

その相手はニューヨークの一流シェフです。料理の素材として提案することにより、既成概念のない料理人が丸柚餅子をどのように使い評価していただけるのか楽しみでだったのです。

その後、有名レストランのオーナーやシェフのみなさんとも懇意になり、丸柚餅子がフレンチレストランなどで使われることになったのです。

そのあと、現地で丸柚餅子を使用した本当の理由をあとになって知ることになります。続きは次の投稿になります。

NYCの有名フレンチ「ダニエル」のオーナーシェフのダニエルさん

丸柚餅子の物語 01.和菓子の枠を超えて

丸柚餅子を製造販売する株式会社柚餅子総本家中浦屋は明治43年に創業しました。創業当時から屋号は柚餅子総本家中浦屋としていて、古い資料としては戦時中の写真に本店の看板が写っています。そこに柚餅子総本家中浦屋と記されています。

古くから丸柚餅子を和菓子として販売し、昭和40年代に生産量を大幅に伸ばしました。高度経済成長、バブル経済、ふるさと一品運動、ふるさと小包、物産展、能登半島ブームなどなどの潮流を背景に多くの方々に愛用いただくことになりました。また、輪島塗との関係もこの時代により深いものとなりましたが、別のパートで投稿いたします。

平成に入り丸柚餅子の製造量は安定から下降に向かいました。デフレ経済が始まり、中間層と言われる方々が減少し、マイナス成長を背景に、和菓子としては高級品であり嗜好品としての丸柚餅子は生活者にとって縁遠いものとなりました。また、旅行のスタイルもお土産の需要も変化して、観光スタイルも大きく変わりました。

このような社会環境の変化に順応するため、和菓子としては高価な丸柚餅子を酒類のアテや料理をグレードアップする素材として提案することを始めました。和菓子という概念からお酒や料理と合わせることは控えてきましたが、じつは、地元輪島ではお正月の雑煮に入れたり、お祝い事でお酒のつまみにしたり、古くからハレの素材として使われていたのです。

このように、丸柚餅子は和菓子の枠を超えた日本の伝統的食品として、様々な用途を提案させていただいています。

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